震災被災地を行く

<8月25日>
前日の24日は公用にて1日中ホテルに缶詰だったのだが、郡山入り直後の酒が残って午前中は朦朧としていた。
今日は出発が7:15と早いので、昨夜は早々に切り上げた積もりだったがそれでも午前様というていたらく。
朝4時に目が覚めて、二度寝は危険極まりないとそのまま起きていることにした。

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流石は東日本、窓の外は既に明るく、正面に立ちはだかる郡山駅にはマルヨの新幹線が見える。(※画像は前日の夕方に撮影)
平屋で窓がデカいからE2系だな。
どうにも胃腸の調子がよろしくなく、ビュッフェの朝食は前日に続きとろろご飯に冷奴で済ませた。
こんなオッサンのわたしとはまるで対照的に、同行の若輩者は二日連ちゃんで朝っぱらからカレー。
今日は団体バスに乗って移動、中通りの郡山から海通りのいわきへと出て、前の震災で津波に襲われた集落の視察に行く。
ホテルを出たバスは磐越自動車道へと辿るのだが、その郡山東ICというのがやたら遠い。
普段静岡だと自宅でも実家でも会社でも最寄りのICまでどんなに時間が掛かっても30分を越えることはない。
国道4号線に出てしばらく南下、線路を越えたと思った場所が郡山貨物ターミナルの様だったが、再び北上し東北新幹線の高架にしばらく沿った後に東へ向かう。
東海道だと、同じ程度の時間(10分程度)併走すれば、およそ疾走する列車と対面するが、はやぶさはおろか新幹線電車と出会うことはなかった。
その後非電化単線が寄り沿ってきた、磐越東線である。
そして線路から離れ山中へと入った、あと少しで三春という立地に郡山東インターチェンジが在った。
磐越道とは対面通行かと思いきや、片側二車線の立派な自動車道でちょっとびっくり。
交通量は少なめで、三春ICを過ぎ東へ進むにつれて震災の影響による路面凹凸に注意の標識が頻繁に出現する。
通行帯はそうでも無い(路面が荒れてはいるが)が、東名に比べ明らかに狭い路肩は所々に段差が見て判る。
誤って乗り上げたら大事故だな。
道路左脇のキロポストによれば常磐道とのジャンクションまで約70kmという道のり、静岡からだと沼津・裾野くらいの距離となる、結構遠いだな。
磐越自動車道って、太平洋側のいわきから日本海側の新潟(新津)まで繋がっているようで、並行する磐越東線、磐越西線はまともにその影響を喰らっていることだろう。
ただ、郡山といわきを結んでいる高速路線バスとはすれ違わなかったように思える。
そんなに高速道路って居るのかと思う反面、在れば在ったで確かに便利。
ただ、この路線に限って言えば小野ICを出ると30km近くも次のインターチェンジが無い。
これでは沿線にとってはタダ通過するだけと、何の恩恵も無いことになる。
バスは東へと進路をとり続け、今まで避けるかのようにトンネルが無かったのに、トンネルが何本か連続したと思ったら終点のいわきJCT。
ここで三郷からの常磐自動車道に合流。
東名の三ヶ日JCTのようなダイナミックな合流かと思ったら、常磐道もほとんど交通量が無くあっけなく合流。
いわき中央ICを過ぎたら対面通行となってしまった。
四倉PAで休憩の後、いわき四倉ICで降りた。
沿道の家屋、瓦屋根の鴨居が無く、未だ養生シートが掛けられたままの家が散見される。
また、しばらく進むと見事なまでの稲作地帯が拡がって、早くも稲穂が付き始めている。
これだけの稲穂に、北方に位置する原発から放射性物質が降り注いだら、それは怒り心頭だろう。
国道6号線を南下し、途中から別れて小名浜方面へと進路を取る。
車窓左手に松並木が見え始めた、海岸線である。
と、同時に建物の基礎だけが並び始めた。
主要地方道から折れ一山越えると海岸へ出た。
かの津波の襲来で流失した無数の家屋の跡。

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バスは更に進んで塩屋崎という岬の袂で止まった。
ここは遠浅の砂浜に沿った260戸程の集落だったそうだが、13戸を除いて全て津波によって押し流されてしまったという。
地元の方の話を伺ったのだが、地震の揺れの後、大津波警報の発令で一度は高台へ避難したものの、津波の第一波は思ったよりも高くなかったそうで、避難した人の中に自宅や海岸端へ様子を見に行ってしまった人が続出してしまったらしい。
それが結果として辛い結果をもたらしてしまったというが、巨大な津波となった第二波、第三波の襲来でそれらの引き波に攫われてしまったということだった。
津波襲来時の写真を拝見し、当日帰宅後にニュースで繰り返し流されていた映像と重なった。
お話を伺った方は当日塩屋崎灯台下の断崖の北側に居て、津波は南から襲ってきたため岬が防潮堤の役目となったのか、命は助かったと言われていた。
ただ、集落は遠浅の砂浜に沿って並んでいたため、防潮堤を越えた海水に押し流された海岸沿いの家の瓦礫で次々に家屋が倒壊していったそうだ。
翌日は震災当日とはうって変わって晴れたそうだが、瓦礫の中に犠牲となられた方々を見付けては、一人一人シートや布団を被せ、手を合わせて廻ったと言う。

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まるで戦争による爆撃で破壊されてしまったかのように、無惨に残された家屋の基礎。
布基礎もベタ基礎も、もはや関係ない。

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そこは震災直前までは、間違いなく人々の生活の場だったのだ。

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どういうつもりで描いたのか、基礎に描かれた花の画。

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遠浅の砂浜に青い空、まさに白砂青松といった風景で、今は遊泳禁止の標識が掲げられているが、この海岸は海水浴場だったのだろう。

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裏手の山の森からは蝉時雨が容赦なく降り注ぎ、コンクリート製の監視塔がだれも居ない海を見張っている。

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海岸沿いに建つ中学校の校庭には瓦礫の山が。
三階建てRC造の校舎の一階部分は窓が無く、背後の体育館も外壁や軒が破壊されたまま。
校舎の東壁にはバレーボール部の大会出場を祝う横断幕が掲げられたままだった。
当時の物か、はたまた疎開先で練習を重ねて得た勝利の結果なのかは定かではない。
一方、中学校の山の手に在る小学校は辛うじて難を逃れたのだそうで、この中学校は小学校と統合され廃校が決まったとのことだった。

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瓦礫も放置しておくと自然発火の恐れがあるため、掘り起こしをしている最中だった。
作業をする方からすれば、団体バスに乗ってやって来たスーツ姿の集団をどう思うかは自明の理だが、それよりも実際に見聞することの大切さを痛感した。
眼前に積まれた瓦礫の山も福島第一原発の放射能の影響で、どこも引取先が無いということだ。
静岡県は明日は我が身なので、島田市は震災瓦礫の受入を表明し試行の後、受入を開始した。
静岡市も後に続いたが、試行だけだ。
最終的にどうなるのか、見えてこない。
ただ、いずれも原発からは離れた岩手県三陸沿岸の瓦礫だ。
それでもどこかの市民よりはマシだと自負しても罰は当たらないと思う。
見学している最中にも、県外ナンバー(特に南関東)のクルマが三々五々やって来る。
物見遊山なのか(人のことは言えないが)、せめて幾ばくかのお金を落とそうよ。
形はどうであれ、何等かの貢献をしようと思わないか?
未だ凄惨な被災地の1つを後に、バスは小名浜へと向かう。
もちろん、地元の経済に貢献するためである。

※画像はいずれも携帯写メ
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