アクアマリンふくしま探訪
<8月25日>
小名浜漁港は大きな港だった。
ここも、津波により甚大な被害を被った場所。
岸壁には卸売市場だったろう建物が、解体されずに廃墟と化している
福島臨海鉄道の小名浜(貨物)駅を右手に見た先の岸壁端に、訪問先の環境水族館アクアマリンふくしまが在った。
駐車場となっている場所はアスファルトが剥がされて瓦礫の築山がそこかしこに出来ていた。
先ずは入場し、研修室へ通された。
ここで、副館長殿から津波罹災当日の様子と、再オープンまでの復興の経緯について説明を受けた。
職員が撮影されたというビデオ映像を見させていただく。
ニュース等で幾度と無く見た映像だが、何度見ても切ない思いになる。
パージと呼ばれる貨物船への荷役に使われる巨大な艀(はしけ)が係累が切れ、向かって流されていたり、引き波では貨物駅に留置されているJRの貨物コンテナが流され、岸壁の係累杭に引っ掛かっている様子が映し出されていた。
艀やコンテナなどの巨大な構造物が、建家に衝突でもしていたら更に甚大な被害が出ていただろう。
幸いにも3月というのは、水族館にとってはオフシーズンのため地震発生後津波襲来までには入場者の避難を完了できたということだったが、残された職員は館内に立て籠もったそうだ。
臨港の埋め立て地のため、著しい液状化に見舞われたとのことだったが、水族館その物は地中深くの岩盤層に数百本もの杭を打ち込んだ上に建てられているそうで、地震の揺れによる直接の被害は無かったのだそうだ。
また、岸壁から6メートル近く土盛されていたため直接津波を被ることもなかったが、水位を増した海水が建物に地下にある電源施設に流れ込み電源機能が麻痺。
水槽の循環や音調が機能停止し、飼育していた魚類の9割を死なせてしまったということだったが、展示の目玉である潮目(福島県沖が黒潮(日本海流:暖流)と親潮(千島海流:寒流)とが交わる海域で、大きな漁場とされる)を表現した大水槽の黒潮側を泳ぐイワシの群だったが、そのイワシを静岡県の漁協が提供してくれ、復元を果たしたのだそうだ。
水族館のいち早い復興で地域に夢や希望(元気)を取り戻せるのでは、と突貫で工事が為された結果、昨年7月の再オープンに繋がったのだと。
葛西でも名古屋港でも水族館というのは、楽しい。
6月に八景島に行きそびれたのが惜しまれるが、ちいさな子供を連れた入場者が多く、息子や娘と来たかったなぁと思った。
トドがいたり(求愛行動なのかはたまた威嚇か、雄叫びを上げていて大人気)
クリオネがいたり(あんなに小っさい生き物だとは、想定外の小ささにビックリ)
ゴマフアザラシがいたり(震災後に疎開先の鴨川で生まれた赤ちゃんがいるそうだが、残念ながらお昼寝中とかでお目にかかれず)
見どころの「潮目の大水槽」。
親潮側には、人類でございます。
黒潮側にはイワシの大群と、カツオの群。
このイワシの皆さんは遙々駿河湾からやってきたのだ。
最後にシーラカンスの標本。
最初の一匹目は北極海だか南氷洋だかの寒い海で捕獲されたとばかり思っていたのが、アフリカ産だというのでビックリ。
55分という制限時間ではゆっくり見て回ることは難しかった。
それは、個人で来なさいということか。
反対側の埠頭に建つ「いわき・ら・ら・みゅう」という、静岡で例えれば「焼津さかなセンター」みたいな施設の食堂で昼食。
鮪、黒鯛(メジナ?)、タコ、イカ、ホタテ、ウニ、甘エビといった刺身と、鰈の煮付けがおかず。
地域に貢献しなさいとの命により、真っ昼間っから一杯傾けてるので、お腹が膨れて苦しい。
お土産を調達して、バスに戻る。
13:00丁度に小名浜港を出発、いわき湯本ICから常磐道に乗ったのが13:30過ぎだった。
以降、意識を失って気が付いたら水戸ICを通過した。
途中一回の休憩を挟み、千葉県へと入った松戸ICのあたりからスカイツリーが見え始める。
三郷から首都高に入ると、みるみる間にスカイツリーが大きくなっていく。
車窓を遮る防音壁の一瞬の隙をついて、ベストショットを狙おうとバスの中が俄に盛り上がる。
小菅ICを過ぎ堀切ICから先の隅田川畔、スカイツリーの横を過ぎた辺りから渋滞。
左前に白いフェラーリが渋滞に嵌っている。
最近のフェラーリは渋滞でもオーバーヒートしないのか?
隅田川には観たこともない異様な姿をした船が航行している。
海の猟犬なる団体の調査捕鯨船に突進する船みたい。
船尾には日章旗を掲げてるから、ちゃんとした船だろうケド。
両国ICで小松川からの7号線との合流した後、渋滞のメッカ箱崎ICでバスは一般道に降りた。
へぇ~、箱崎って出入口があるんだ。
あとは永代通りへ出て東京駅北方のガードを潜って丸ノ内側に到着。
時間は予定よりも早く、ほぼ16:00に到着したけど乗りっぱなしはキツイな。
東京駅赤レンガは完成当初の姿を現していた。
ほんの半年ほど前に、この界隈(と言っても有楽町側だけど)を闊歩していたコトが懐かしくさえ思えた。
同行者のリクエストで新丸ビルへ立ち寄って(息子が小さかった時分、TDLの帰りに寄って以来、随分と入ったことが無かったが)から、17:03発ひかり481号で帰途に就く、700系C8編成だ。
往路は気が付かなかったが、八重洲口の大丸が消滅していて驚いた。
新しく鉄骨が組まれている最中だ。
自由席はいつもの如く品川で満席となる。
新横浜では通路も立客で一杯になってしまった。
三島発車後に、車両所の電留線に700系が留置されていたのが見えた。
乗務員室(運転室)ドアの編成番号がC2と読めた。
方向幕が真っ白だから、廃車前提の疎開留置と思われる。
新G編成(N700A)の新製配置による置き換えだろう。
古くは0系の時代より、そこに留置された編成は浜松へとドナドナされる運命、通学していた時分の0系からその後の100系、つい最近の300系と、幾度と無く見た光景。
ところで、C1(9000番代:量産先行試作車)はどうなったんだろ?
金城埠頭に展示するのかな?スペース無いけど。
緑の200系がまだまだ現役で走っているというのに、1999年新製配置の700系が廃車されようとしているとは。
※画像はいずれも携帯写メ
小名浜漁港は大きな港だった。
ここも、津波により甚大な被害を被った場所。
岸壁には卸売市場だったろう建物が、解体されずに廃墟と化している
福島臨海鉄道の小名浜(貨物)駅を右手に見た先の岸壁端に、訪問先の環境水族館アクアマリンふくしまが在った。
駐車場となっている場所はアスファルトが剥がされて瓦礫の築山がそこかしこに出来ていた。
先ずは入場し、研修室へ通された。
ここで、副館長殿から津波罹災当日の様子と、再オープンまでの復興の経緯について説明を受けた。
職員が撮影されたというビデオ映像を見させていただく。
ニュース等で幾度と無く見た映像だが、何度見ても切ない思いになる。
パージと呼ばれる貨物船への荷役に使われる巨大な艀(はしけ)が係累が切れ、向かって流されていたり、引き波では貨物駅に留置されているJRの貨物コンテナが流され、岸壁の係累杭に引っ掛かっている様子が映し出されていた。
艀やコンテナなどの巨大な構造物が、建家に衝突でもしていたら更に甚大な被害が出ていただろう。
幸いにも3月というのは、水族館にとってはオフシーズンのため地震発生後津波襲来までには入場者の避難を完了できたということだったが、残された職員は館内に立て籠もったそうだ。
臨港の埋め立て地のため、著しい液状化に見舞われたとのことだったが、水族館その物は地中深くの岩盤層に数百本もの杭を打ち込んだ上に建てられているそうで、地震の揺れによる直接の被害は無かったのだそうだ。
また、岸壁から6メートル近く土盛されていたため直接津波を被ることもなかったが、水位を増した海水が建物に地下にある電源施設に流れ込み電源機能が麻痺。
水槽の循環や音調が機能停止し、飼育していた魚類の9割を死なせてしまったということだったが、展示の目玉である潮目(福島県沖が黒潮(日本海流:暖流)と親潮(千島海流:寒流)とが交わる海域で、大きな漁場とされる)を表現した大水槽の黒潮側を泳ぐイワシの群だったが、そのイワシを静岡県の漁協が提供してくれ、復元を果たしたのだそうだ。
水族館のいち早い復興で地域に夢や希望(元気)を取り戻せるのでは、と突貫で工事が為された結果、昨年7月の再オープンに繋がったのだと。
葛西でも名古屋港でも水族館というのは、楽しい。
6月に八景島に行きそびれたのが惜しまれるが、ちいさな子供を連れた入場者が多く、息子や娘と来たかったなぁと思った。
トドがいたり(求愛行動なのかはたまた威嚇か、雄叫びを上げていて大人気)
クリオネがいたり(あんなに小っさい生き物だとは、想定外の小ささにビックリ)
ゴマフアザラシがいたり(震災後に疎開先の鴨川で生まれた赤ちゃんがいるそうだが、残念ながらお昼寝中とかでお目にかかれず)
見どころの「潮目の大水槽」。
親潮側には、人類でございます。
黒潮側にはイワシの大群と、カツオの群。
このイワシの皆さんは遙々駿河湾からやってきたのだ。
最後にシーラカンスの標本。
最初の一匹目は北極海だか南氷洋だかの寒い海で捕獲されたとばかり思っていたのが、アフリカ産だというのでビックリ。
55分という制限時間ではゆっくり見て回ることは難しかった。
それは、個人で来なさいということか。
反対側の埠頭に建つ「いわき・ら・ら・みゅう」という、静岡で例えれば「焼津さかなセンター」みたいな施設の食堂で昼食。
鮪、黒鯛(メジナ?)、タコ、イカ、ホタテ、ウニ、甘エビといった刺身と、鰈の煮付けがおかず。
地域に貢献しなさいとの命により、真っ昼間っから一杯傾けてるので、お腹が膨れて苦しい。
お土産を調達して、バスに戻る。
13:00丁度に小名浜港を出発、いわき湯本ICから常磐道に乗ったのが13:30過ぎだった。
以降、意識を失って気が付いたら水戸ICを通過した。
途中一回の休憩を挟み、千葉県へと入った松戸ICのあたりからスカイツリーが見え始める。
三郷から首都高に入ると、みるみる間にスカイツリーが大きくなっていく。
車窓を遮る防音壁の一瞬の隙をついて、ベストショットを狙おうとバスの中が俄に盛り上がる。
小菅ICを過ぎ堀切ICから先の隅田川畔、スカイツリーの横を過ぎた辺りから渋滞。
左前に白いフェラーリが渋滞に嵌っている。
最近のフェラーリは渋滞でもオーバーヒートしないのか?
隅田川には観たこともない異様な姿をした船が航行している。
海の猟犬なる団体の調査捕鯨船に突進する船みたい。
船尾には日章旗を掲げてるから、ちゃんとした船だろうケド。
両国ICで小松川からの7号線との合流した後、渋滞のメッカ箱崎ICでバスは一般道に降りた。
へぇ~、箱崎って出入口があるんだ。
あとは永代通りへ出て東京駅北方のガードを潜って丸ノ内側に到着。
時間は予定よりも早く、ほぼ16:00に到着したけど乗りっぱなしはキツイな。
東京駅赤レンガは完成当初の姿を現していた。
ほんの半年ほど前に、この界隈(と言っても有楽町側だけど)を闊歩していたコトが懐かしくさえ思えた。
同行者のリクエストで新丸ビルへ立ち寄って(息子が小さかった時分、TDLの帰りに寄って以来、随分と入ったことが無かったが)から、17:03発ひかり481号で帰途に就く、700系C8編成だ。
往路は気が付かなかったが、八重洲口の大丸が消滅していて驚いた。
新しく鉄骨が組まれている最中だ。
自由席はいつもの如く品川で満席となる。
新横浜では通路も立客で一杯になってしまった。
三島発車後に、車両所の電留線に700系が留置されていたのが見えた。
乗務員室(運転室)ドアの編成番号がC2と読めた。
方向幕が真っ白だから、廃車前提の疎開留置と思われる。
新G編成(N700A)の新製配置による置き換えだろう。
古くは0系の時代より、そこに留置された編成は浜松へとドナドナされる運命、通学していた時分の0系からその後の100系、つい最近の300系と、幾度と無く見た光景。
ところで、C1(9000番代:量産先行試作車)はどうなったんだろ?
金城埠頭に展示するのかな?スペース無いけど。
緑の200系がまだまだ現役で走っているというのに、1999年新製配置の700系が廃車されようとしているとは。
※画像はいずれも携帯写メ
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