出張鉄(13) 海外帰着篇 梅小路蒸機機関車館探訪

<1月12日>
関空特急はるかを京都で下車、事前に調べたバスの時刻は1338、これは間に合わないそうにない(後になって思えば間に合ったと思う)ので、30番線の行き止まりの先にある立ち食いうどん屋で昼食とする。
朝食は900過ぎ(日本時間1000過ぎ)に機内食を食べたが、目が覚めてから既に9時間近く経過していることもあってお腹が空いた。
はるかから降り立った、大きな荷物を持った乗客も考えが同じらしく広くもない店内はスーツケースなどでごった返している。
海鮮(海老、ゲソ)かき揚げうどんを食す。
新大阪もそうだったけど関西ではネギや揚げ玉はセルフサービスなのかな?
天ぷらがあるので揚げ玉は入れずネギをどばっと投入。
次のバスが54分発なので、大急ぎでうどんをすする。
(写真撮る暇も惜しい)
冬場の節電のためなのか薄暗い通路をキャリーバッグをガラガラ牽いて、中央口から外に出るとそこがバスターミナル。
京都市交通局の水族館シャトルのりばに並ぶ。
首から一眼レフを提げたのが結構居るぞ、みな目的地は一緒だというのか?
嘱託(だろう)おじさんが、やってきたバスに乗り2つ目で降りるよう行列に促す。
このバスはシャトル(直行バス)ですかと尋ねると、「シャトルや無いけど同じ事やし、こっちの方が先に着きますぅ」と。
あれ、事前に調べた結果ではシャトルの終点なら目の前で降ろしてくれるハズだが、あぁいいか。
一体、どこへ向かうのかと言うと、そう日本でこれだけまとまった数の蒸気機関車を他では見ることが出来ない、かの梅小路蒸機機関車館なのだ。
去年の10/10で会館から40年を迎えたそうだ。
子供の頃、親に買ってもらった幾つかの大百科シリーズの中に、梅小路の事が描かれていて、ターンテーブルを取り囲む扇形機関庫の中に十数両ものSLがずらーーーーーーーっと並んでいる様は憧れの的だった。
これをNゲージ(鉄道模型)で再現しようにも、当時はターンテーブルや扇形機関庫などというストラクチャーは販売されて居らず、鉄道模型趣味などに掲載されたレイアウト作品はいずれも自作ばかり。
また、数千円で買える電車やディーゼルカーと違って蒸気機関車は別格!
D51やC62といった花形蒸機はただでさえ聖徳太子さま数名にご登場いただかないと手に入らない代物で、それを十数両なんてとても小学生の小遣いでどうにかなるような金額ではなかったのだ(未だにどうにもならないけど)。
子供時分、両親には幾度と無く京都に連れてってもらったが、嵐山とか大原とか清水寺とか通常の観光地で、梅小路に連れって欲しいと懇願するも、クルマでの日帰りゆえ「また今度」で片付けられてしまっていた。
まぁ、それでも京都市電に乗せて貰ったから有り難かったが。
成人してからも関西には幾度と無く来たが、不思議と帰途は誰かしら同行者が居るか、夜半となり一度も訪問が叶っていなかったのだ。
今回、フライトが関空着1300と絶好のダイヤで、しかも同行者無し。
上手くすればSLスチーム号(動態保存の蒸機が構内を展示運転、体験乗車が出来るのだ)最終列車の撮影が叶う。
しかも、ちょうど復活したばかりの、あのスワローエンゼル:C62 2号機が運用に就いているというではないか!!!
これはもう、行かないワケにはいかんでしょー!
ホントは1Dと長玉を持参したかったが、重いので40DとVSで我慢。
中国行くのになんでそんなカメラ(40D)持ってくの?
というカミさんの問いには素直に「帰りに京都(梅小路)へ寄って写真撮ってくるから」と宣言。
ましては、偏西風で早着とあって、当に「風が吹いた」のだ。
おっちゃんに言われるまま乗客の大勢が2つ目のバス停、七条大宮(←京都だよねぇ)で下車。
さて、線路から離れてるけど、梅小路はどっちだ?
取り敢えず降りた人達と一緒に南の方角に向かって歩くと、そこが梅小路公園の東端、京都水族館だった。
あれ、梅小路はどこだ?
目印となる扇形機関庫も旧二条駅舎も見あたらない。
ちょうどタクシー会社の営業所があって、車庫から道路へ出る車両の交通整理や配車案内をしているおっちゃんに尋ねると、遙か彼方(西)に見えるガード(山陰本線の高架橋)の向こう側だという。
ありゃりゃりゃ、降りるバス停間違えたか、というよりバスターミナルのおっちゃんの説明は水族館への行き方だったんだなと。
40Dの入ったガラガラを文字通りガラガラ牽きながら道を進む。
頻りにボォーーー!という汽笛が聞こえてくる。
あぁ、SLスチーム号が準備しているに違いない。
まだ1510、スチーム号の最終は1530だから間に合うはず。
と、慣れぬ革靴で道を急いで到着。
旧国鉄二条城駅舎が移築され資料館となっている。
入場料大人\400を支払って入場。
コインロッカーの場所を尋ねて、ガラガラの中から40DとVS28-85を撮りだして荷物を預けて隣接する扇形機関庫を抜けてSLスチーム号ホームの反対側広場へ急ぐ。
ちょうど、最終列車の乗車整理券の販売開始のアナウンスが流れた。
三連休なので構内は家族連れが殆どだが、C62 2復活というここともあって鉄の姿も同じくらいいる。
ターンテーブルの向こうに漆黒の巨体が黒煙を揚げて鎮座する姿が見えた。
逸る気持ちを抑えて、広場に行くと・・・

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居た、C62 2。
日本で最大にして最強の蒸気機関車。
戦時中、海路を断たれて逼迫する貨物(石炭)輸送の増強(t1200牽引)のために設計製造された大型貨物用蒸気機関車、D52形のボイラを流用して製造された急行旅客用蒸気機関車。
要するに、速く走る事を最大目的に造られた蒸機なのだ。
昭和31年だかに、特急「はつかり」が走り始める以前、国鉄の特別急行列車というのは東海道・山陽本線(戦前は関門トンネル開通後に長崎まで)以外には存在しなかった。
そんな中でも戦前の超特急燕に由来する国鉄を代表する特急つばめの牽引機として、C62形の2号機と18号機には栄光のつばめエンブレムが徐煙板に取り付けられ、特にこの2号機は北海道の函館本線にてC62形同士による重連運転で急行列車を牽引していたこともあって、当時のSLブームというシナジーもあってか、スワローエンゼルと呼ばれ後世まで永く親しまれる特別な存在となったのだ。

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小学生の時分、授業中に教科書やノートに端っこに、この形を真似して描いていたっけ(笑)。
もう、夢中でシャッターを切りまくる。

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SLスチーム号は2両のオープンデッキ客車を先ずは推進運転(バック)し、遊戯線を1往復する。
発車直後に放たれるドレンの位置を想定して立ち位置を定める。
程なくして機関士(正式には運転士)さんがやってきて、先従輪にセットされていたクルマ止めがハズされ、機関助士(正式には運転士)さんともどもキャブ(運転室)へ上がった。
やがて乗車開始の構内アナウンスが入り、親子連れが銘々乗車していく。
「大きな音の汽笛が鳴ります」
というアナウンスの直後に汽笛一声、発車。
いやぁ、実にいい音だ~♪

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C62 2牽引のSLスチーム号はゆっくりと動き出した、そして予想通りにドレン放出!
やった♪

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さらにバックして山陰本線(JR嵯峨野線)をアンダーパスする手前で最大放出!
すーげーー♪
かーっちょいーー♪
今度は戻ってくるところを少し場所を変えて狙う。
遠くで汽笛長声、折り返し上り列車が発車したようだ。
山陰線を下り特急電車の183系『きのさき』が通過。
現代の特急は4両編成さ。
そして、シュー、シューっという音と共に高架の上に白煙が見えた。

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C62がゆっくりと山陰線のガードを潜る。
煙突がくぐり抜けた途端、白煙の柱が盛大に揚がる。
と、同時にシューーーーっとこれまた盛大にドレン放出。
巨大ボイラが故に発生する蒸気量が半端ではないのだろう。
やっぱ長玉もってくりゃヨカッタとは後の祭り。
こういうカットが欲しかったということで、トリミングでご勘弁。

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いやぁ、たったこれだけでも結構な迫力だった。
もちろん毎日全力で営業運転している大井川のタンク機も充分に迫力あるが、やっぱC62はデカいわ!
桁違いの迫力だ。
たった数百メートル往復するだけでこの雄姿だもん。
伊達や酔狂で特別急行牽引機とは呼ばれないわな。

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さて、お次は転車台だと思って移動すると、またも構内アナウンス。
今度が1530発最終列車だって。
さっきのは増発された臨時列車ってことか?
人気あるだね、息子をつれてきたら喜びそうだ。
というわけで今度は少し違った場所に陣取る。

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日が傾き、夕陽を浴びるエンジン部。
ボイラの外装が輝く。

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そして、定時となり汽笛長声。
※近隣への騒音配慮から清々鳴らせられないということだが、それでもこの威風堂々たる音色♪

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シリンダから発せられるドレン放出の様がお判りいただけるだろうか?
そして、ガード下で大放出。
待つこと数分、本日最後のSLスチームが到着する。
惰行から制動にかかる瞬間、シリンダ内のドレンを放出する手順のようだ。

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山陰線アンダーパスの辺りから盛大に放出。
右カーブを曲がってホームへ進入。
本日の営業(?)運転は終了。
この後、火室内の床均しと焼却灰の排出や給水炭のための整備がそれぞれの整備線で行われるため、転車台の乗るのだ。
これが、目玉の1つでもある。
転車台の周りには見学者が取り囲み、C62の入線を待ちわびている。
わたしは、客車から切り離された単機の発車を狙う。

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僅かながらも思惑通りドレンが放たれた♪
手旗信号もいいなぁ。
転車台手前で一旦停止。

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安全を確認し、ポッポッと短く汽笛を残して下路へ乗る。

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21.6mの全長ギリギリに乗ったC62が、反時計方向に廻り出す。

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デカイ、水上で見たC61とは明らかに迫力が違う。
転向中、機関士さんが笑顔で手を振ってくれる。
また、汽笛がこれでもかと盛大に吹鳴した。
これは動画だなぁ。

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続いてアッシュピットへ行って灰を落とす。
赤熱する燃えガラが見えた。
同時にテンダー上では石炭の前寄せが行われている。
機関士(運転士)二人と検査掛(係)の三名での対応だ。

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そして今度は、明日に備えての給炭と給水のため、すこし後退。
給炭は現在では高揚程フォークリフトにバケットをくっつけた専用車で給炭する。
ちなみに新金谷にも同様の車両が配備されている。

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食事を終えたC62は、ネグラに入るため、またしても転車台へ。
今度は全体を見渡せる場所を選んだ。

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そしてゴゴゴゴーーっと転向。
ここでも汽笛を盛大に鳴らしてくれる。

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最後は、扇形庫の2番線へ推進で入庫。

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長かっただろう1日を終えた。
機関士がハンマーで打診しながら点検。
明日も忙しい事だろう。

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庫内に射し込む斜光が動輪を照らす。
おーー、何だか蒸気機関車EXみたいだぞ。

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安全弁から頻りに蒸機を噴き出させてボイラ内の圧力を下げていく。
CFカードが満杯になってしまったので、連写で生じた不要カットを消しながら撮影を続行した。

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思えば、お正月の頃だけ各蒸機が扇形庫から頭を出してくれている。

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この姿も普段では見られない貴重な物だなのだ。

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ずらーーっと並んだ様に圧巻。
C59とC53、復活させてくれないかなぁ。
C53は引退後、大阪-神戸間を復活運転したことがあったようだ。
またC62 2も、かの『SL白鷺号』で当時の新快速(ブルーライナー)張りに立ったスジで京都-姫路を疾走していたそうだ。
白鷺号はわたしが小学校に上がるか上がらないかという頃の話だから、今の息子より少し下くらい。
もし、もしも当時C62が100km/h超で京阪神の複々線を疾走する姿を目の当たりにしていたとしたら、わたしの鉄道趣味は今とは比べ物にならないほど変わった物になったことだろう。
傾いた陽光の向こうに拡がる、悠久の光景に想いを馳せずにはいられなかった。

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