扇形機関庫探訪(梅小路蒸気機関車館再訪④)

<4月11日>
③からの続き・・・

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B20形10号機
戦後製造された入換用小型タンク機。
前照灯も付いていない
2002年、開館30周年を記念して復活され、動態保存。

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9600形9633号機
通称、キューロク。
大正時代を代表する貨物用国産機。
動輪は小さいが、その力強い牽引力で日本の産業発展に寄与した。
北海道や筑豊の炭田から採掘した石炭を満載した長大編成のホキを牽引、といったイメージが強い。

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C11形64号機
ご存知、大井川鐵道でも大活躍中のC11。
小形のタンク機ながらその走行性能は高く、大都市近郊の旅客列車からローカル線の旅客・貨物まで幅広く運用に就いた基本性能の高い万能機。
大村線では寝台特急さくらの佐世保編成(20系)を牽引していたことも。
ここ梅小路では静態保存。

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このテンダーをハズされたのは誰だ?
おっ、C56か

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C56形160号機
簡易線向けタンク機のC12にテンダーを取り付けた形態の小形蒸機。
わたしには小海線で貨物列車を牽く姿を高原のポニー等と称されていたことがなんとなく記憶に残っている。
大鐵にいる44号機は、戦時中陸軍に供出されタイ-ビルマの泰麺鉄道に渡り、日本に帰還したという数奇な運命を辿ったのに対し、こちら160号機は確か七尾線かどこかでお召しを牽引するという栄誉を授かった。
昨年末、名古屋市の社会実験のため愛知臨海高速鉄道に貸し出され、SLあおなおみ号として試運転が為され、高層ビルの谷間を行く蒸機として大きな話題となった。
本州JRで唯一復活蒸機を有しない地元JR社の面目が丸潰れとなった(とは思ってない?)ことは記憶に新しい。

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C57形1号機
SLやまぐち号でお馴染み、その流麗な姿から貴婦人の愛称を持つ。
復活当初は細身のボイラーには似つかわしくない、集煙装置が取り付けられていて何とも不格好な姿だと思ったが、いつしか取り外されて有るべき姿に戻った。

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均整の取れたデザインだが(これが意図して設計されたかどうかは、知る由もない)、わたしはどちらかといえば巨大機が好きなので、正直あまり好きではない。
でも、キャブが妙にデカく見える磐西線の180号機よりはこちらの1号機に軍配を上げる。
NHKのドキュメンタリーで見たが、この罐も数奇な運命を辿っていて、羽越線では脱線転覆事故から復活。
全般検査で解体整備中だった鷹取工場で、阪神淡路大震災に被災。
仮置きのウマから転落、台枠に歪みを生じるという致命的損傷を受けるが、ここでも奇蹟の復活。
以後不死鳥と呼ばれているそうだが、その後不調が続き解体検査の結果、台枠の数ヶ所に疲労による傷が発生していたことが判明。
致命的傷であったが、ここでも三度の復活。

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ドキュメンタリーはその修理の過程を取材した内容だったが、復活劇が繰り広げられた舞台がここ梅小路運転区。

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1月に来たときにはC57 1は今日のC56のように点検中だったが、整備は終わったようだ。
試運転で琵琶湖畔でも走るのだろうか?
GWまでには小郡、もとい新山口へと戻るだろう。

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8620形8630号機
通称、ハチロク。
貨物機の9600形式と双璧を為す旅客用国産機。
僚友は九州のSL人吉を現役で牽引するし、同機も動態保存としてSLスチーム号の運用に就く。
大正時代の汽笛は独特の音色を奏でる。

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C62形2号機
日本最大にして最強・最速の超大型旅客機。
ボイラー不具合から見事復活。
昨年秋から動態保存の展示運転にカムバック。

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GHQ司令部の統制もあり、完全な新造ではなくD52のボイラーを流用して製造された。
この2号機と18号機のデフ(除煙板)には特急つばめ牽引を象徴したつばめのエンブレムが取り付けられた。

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梅小路のサイトでは、この2号機が明日までSLスチーム号の任に就くと有ったのに・・・
なぜハチロクと並んで休んでるのさ?

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今日の訪館そのものが全否定されたような気がした。

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C62形1号機
こちらはC62トップナンバーの1号機。
東海道→山陽→常磐線、と幹線電化の延伸と共に各地を転々とし、北海道に渡った2号機と異なり、本州に留まった為かオリジナルに近い外観を保つ。
残念ながら静態保存。
2号機とは全長も質量も異なるという量産試作機的存在だったのだろうか?

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オハ46 13
外装は痛みが激しいが、バリバリの旧型客車。
大ミハの表記があるから宮原客車区が最後の所属だったということか。
蛇足ではあるが、大鐵へ移った仲間はオハ47と改称した。
新しい博物館では綺麗に整備され、展示されるのだろうか?

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C55形1号機
C51の後継とされる、亜幹線用の中型旅客機。
本機ではないが、前述のC53の結果を受けてか否か不明だが、新製時より流線型の車体を纏ってデビュー。
しかしながら C53 43同様、現場からは整備性の悪い車体スカートが疎まわれたという。
結果、後に通常の姿に変更された。

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D51形式200号機
量産を重ねる中、なめくじが改良されたD51のスタンダードとも言える形態。
動態保存。

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C61形2号機
本日のSLスチーム号牽引機=被写体。
C62同様、戦後D51のボイラーを流用して製造された。
こちらも、オリジナルに近い形態のため、高崎の20号機とは趣が異なる。

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DE10形1118号機
各地のローカル線からC11やC56を追いやった張本人。
と陰口を叩かれつつも、国鉄色のオリジナルも段々減ってきたな。
1月に来たときには扇形庫の留置線(今キューロクが居る場所)に停まってたけど、今日は架線柱に阻まれて形式写真が撮れない・・・嵐山トロッコのDE10と共に展示機の頭出しや入換にも活躍している黒子のような役目かな?

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ホキ800形1853(153)号
京って書いてあると、ついつい京鉄局って読んでしまう、国鉄なわたし。
現在貨車してガラを運んでいるのは、秩父鉄道ぐらいのモノだろうから(詳しくないんで)、JR西の事業用車両だろう。
今はホキとかチキとか追っかけてるヒトもいるみたいだが、昔は相当ディープな御仁でなければそこまでしなかったと思うけどな。
よって、専門外。

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オハフ50 68
こちらも、旧型客車を追いやった張本人。
登場当初はレッドトレインと称されたオリジナルの赤塗装(赤二号:特急赤と同じ)はもはやここでしかみられないんでないか?
50系客車そのものが無いよな、津軽海峡と真岡鉄道とあと何処だろ、SL人吉だっけ?
数えるほどしか残ってない。
北海道用の50系51形の一部が一度はDC化改造されたけど、エンジンレスの付随車がJR東に譲渡された。
どうやら釜石線でC58が牽引するハコとして客車に返り咲くようだ。
南三陸の帰りに郡山で見た車両だろう。
ここでは、休憩室として余生を送っている。

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これは、現在の給炭施設。

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このフォークリフト改で石炭をすくってテンダーに給炭する。
大鐵新金谷にも同じ構造の車両があった。
実際に作業を目の当たりにしたけど、バケットを目一杯持ち上げて給炭していたけど、リフトのフレームがテンダーにぶつからないか、見ているこちらが冷や冷やモノだった。

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そしてこちらが、給水施設。
背後に聳え立つ給水塔は今でも現役なのだろうか?

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これはアッシュピット。
火室の火床に残った石炭の燃え殻(灰)を火室から下に落とすための貯灰施設(とでもいうのかな)。

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出発前に整備を終え、SLスチーム号として客車と組成され、発車時刻までホームで佇むC61。
いつも公式側ばかりだから、たまには非公式側を腕木式信号機と一緒に。

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こちらはSLスチーム号が発着するホーム。
片道500m、往復約10分の旅の出発点と終着駅。

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1100の始発に向けて準備万端。

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交通科学館が隣りに引っ越してきても、是非ともここはこのまま残して(施設も車両も)欲しいなぁ。

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この記事へのコメント

田中ちゃん
2013年05月01日 22:42
たくさんのSL、楽しく拝見しております!
静岡のK
2013年05月02日 10:54
いつもコメントいただきありがとうございます。
ホント、たくさん居ますよね、全部で17形式19両だそうです。このうち実際に動くの(動態保存)は7両だけなんですが、眠っていたSLを復活させるには億単位の予算組みが必要となる場合も・・・
全部動かすのは、夢のまた夢ですね。