復興とは

<1月19日>

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今回のミッションは無事に完遂、今日静岡へと戻る。

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この五日間で一番の好天だ。
宿を発つ前に、投宿先による、震災を風化させない取組として行われている、語り部バスという小ツアーに参加した。
去年は40℃超の熱を出して一足先に帰ってしまい、エントリーすら出来なかったのでリベンジである。
満員のバスは始めに津波に襲われた戸倉という地区を廻り、ここでは小中学生の犠牲者を出さなかった話を伺い、続いて旧志津川町の中心部で被害の大きかった箇所を廻った。
賛否両論ある中、各自治体毎に1つの震災遺構を残すことになったのだそうだが、どのようにして後世へと伝えていくかは、途半ばだという。

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そんな中、唯一バスから降りたのは、かつての防災センター。
祭壇に掌を合わせた。
震災を広く語り伝え、風化させないことが復興なのだと。
一方、観光客の物見遊山然とした立ち居振る舞いというのは、被災した方々にはいたたまれないとも。
これもまた、真なり。
ボランティア作業中の写真撮影は、一切禁止。
依頼主(や周辺の)方々の心情を慮っての措置だとの説明だ。
団体の活動に限っては、活動報告用としてボランティアセンターの指導の下に許可される。
震災の象徴かの如く残された鉄骨の残骸、ここでは認許を得たので間近で撮影した。

今回、このミッションに発つ前の週末、たまたま見た公共放送の番組が、俳優H氏が自転車に乗って心に残る風景を紹介して廻る紀行と、震災ドキュメンタリーだったのだが、どちらも、ここ南三陸町の回だった。
ドキュメンタリーは戸倉小学校、中学校が津波に襲われた当時の模様、紀行ではH氏が、戸倉から女川寄りに南下した場所にある海岸を訪れた。
今回、ボランティア活動で農地再生の手伝いをしたのが、その海岸にほど近い場所のはず。
たまたま、事前にTVという媒体を介して情報を得ていたので、改めて理解を深めることが出来たが、時間の経過と共に人々の心の風化は予想以上の速さで進んでいるとも感じた。
ただ、町内のあちらこちらに、去年に比べ半端無く多い台数の土木作業の車両(ダンプ。ブルドーザー、ユンボ)を見ることが出来る。
そこら中で山が切り崩され、発生した土砂は更地となった海岸端にうず堆く積まれている。
新たな高速道路の建設も始まっている。
自力再建を断念したJR気仙沼線は、BRTとして再出発したが、元は鉄路だった路盤の専用自動車道への転換区間が去年よりも拡大されている。
復興三年目も終ろういう頃、漸くこの地にまで手が廻ってきたという印象だ。
だが、オリンピック招致で予想される内需拡大を理由に、今あるインフラ(労働力)がそちらへ集中したら一体どうなる?

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